
棚倉孫神社
神社期によると、仁寿二年(852)、藤原良房が公詔を受け造営されたと記録されている。また江戸時代には、天神社として天神を祀っていたこともある。境内には本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの...
神社期によると、仁寿二年(852)、藤原良房が公詔を受け造営されたと記録されている。また江戸時代には、天神社として天神を祀っていたこともある。境内には本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの...
2号棟(舞鶴市政記念館) 縄文から現代に至る舞鶴のあゆみを紹介するコーナーや喫茶コーナー、レンタサイクルがある。3号棟(まいづる智恵蔵) 土産物販売コーナーなどがある。4...
乃木希典を祀る神社。
祟神天皇の時代、四道将軍丹波道主命が出雲より八知矛神(大国主命)を迎えて神谷の地に祀り、道主命亡き後、人々がこれを追幕し現在地に神社を創建し、道主命所有の「国見の剣(くにみのつるぎ)」を神霊とし...
現在の本堂が建ったのは宝永3年(1706)。奈良時代「鹿山寺(かせやまでら)」と称して古代南部仏教の一派といわれている。奈良元興寺と関わりがあったとされている。
山田家は江戸時代に御牧郷(みまきごう)13か村をまとめた大庄屋で、巨椋池(おぐらいけ)漁業の取りまとめ役を務めていました。長屋門・長塀・主屋は国の登録有形文化財建造物。展示室では巨椋池にかかわる...
8世紀から9世紀前半にかけて、平安京造営に必要な瓦を生産した遺跡です。宅地造成に伴う発掘調査で存在が明らかになり、平安京の成立ちに関して重要な遺跡として2006年国の史跡に指定。遺構は地中に埋め...
壬生寺は、延命地蔵菩薩を本尊とし、991年に創建した律宗寺院で、厄除、開運の寺として庶民の信仰を集めている。境内は保育園や老人ホームなどが建ち庶民的な雰囲気だが、毎年恒例の節分会や重要無形民俗文...
四条通から北に一筋入った通りで、寺町から高倉まで約400mの間に錦市場がある。「錦に来てそろわへん食べ物は1個もあらへん」という京都人の言葉通り、魚・肉・乾物・惣菜・湯葉・漬物・京野菜などの店が...
794年の平安京造営の際に造られた禁苑。桓武天皇を初めとして歴代天皇が行幸され、舟遊び、放隼、釣りなどの宴遊や、詩会、相撲節会、重陽節会などの宮中行事が催された。812年には嵯峨天皇が史実に残る...
弘法大師が十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられる。西国三十三カ所の第十五番札所として知られているが、不動明王や毘沙門天の信仰もあり、頭痛封じ、頭の観音さんの寺として古くから民衆の信心を集め...
東山のふもとに建つ閑静な古刹。仁寿3年(853)真紹僧都によって創建され、貞観5年(863)清和天皇より禅林寺の定額を下賜。諸堂は、おおらかな自然と一体となった長い回廊で結ばれている。重要文化財...
京都三熊野の一つ。神木の梛はかつて紀州熊野詣でや伊勢参宮などの際に禊の木として用いられていたといわれる。現在も「あらゆる苦難をなぎ倒す」ことで信仰を集めている。また、裏手の若王子山山頂市営の墓地...
「くろ谷さん」の名で親しまれる浄土宗大本山。法然上人が初めて草庵を結んだ地で、幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。秋の特別拝観では...
三宝院は醍醐寺の座主住坊で、玄関から表書院の間にある葵の間、秋草の間、勅使の間には、それぞれ石田幽汀作の「葵祭図」、長谷川一派の筆による「秋草図」「竹林花鳥図」がある。寝殿造りと書院造りを巧みに...
寛喜元年(1229)近衛基通の孫、静基によって創建され、応永18年(1411)に現在地に落ち着いた。四脚門、御車寄せ、客殿などは江戸時代中期に東山天皇中宮承秋門院の旧殿を移築したものである。数少...
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
蓮華寺は江戸時代のはじめに加賀前田家の家老・今枝近義によって洛中からこの地に移された。境内には六角形の笠をもつ蓮華寺型石燈篭や石川丈山作の池泉観賞式庭園があり、全体的にしっとりとした情緒が漂う。
洛北屈指の名刹、大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山。応仁の乱で大部分の伽藍を焼失するなど一時寺運が衰えたが、その後一休禅師が再興し、安土桃山時代には豊臣秀吉をはじめ諸大名が伽藍の建立に力を入れたた...
島原の吉野太夫が寄進した吉野門で有名。境内には当時の豪商・灰屋紹益と吉野太夫との比翼塚がある。毎年4月第2日曜日には花供養が行われ、鷹峯三山を背景に繰り広げられる島原の太夫道中、太夫の点前による...
釈迦岳の山腹に建ち、西国三十三所観音霊場第20番の札所として知られている。応仁の乱で焼失した建物は、江戸時代に桂昌院によって再建。幹が北に11m(平成6年、松くい虫のため約15mを切り、現在11...
古くから深草の産土神として信仰を集める藤森神社。本殿の後ろに並ぶ大将軍社と八幡宮社は足利義教の造営と伝えられ、どちらも流造り、檜皮葺きの社殿で重要文化財に指定されている。また本殿の東には、藤森神...
鎌倉時代末期、日像上人が向日神社前にある法華題目の石塔婆の傍らにお堂を建て、石塔寺と名付けたのが創建と伝えられている。境内には山吹、つつじが多く、毎年5月の花まつりに披露される「鶏冠井題目踊」は...
鶏冠井町大極殿にある南真経寺は日蓮宗の寺院で、鎌倉時代末期に、日像上人の布教により村人のすべてが日蓮宗に改宗した信仰の中心地。もとは南真経寺と北真経寺は一つの寺で、現在の北真経寺の位置にあったが...