正法寺
大原野神社の南にある正法寺は真言宗の寺で、本堂には重要文化財指定の三面千手観音像が安置されている。本堂前に広がる石庭は最近の作で「鳥獣の石庭」とよばれ、動物の形をした石が配され、枯山水などといっ...
大原野神社の南にある正法寺は真言宗の寺で、本堂には重要文化財指定の三面千手観音像が安置されている。本堂前に広がる石庭は最近の作で「鳥獣の石庭」とよばれ、動物の形をした石が配され、枯山水などといっ...
約120種類の苔が境内を覆い、緑のじゅうたんを敷き詰めたような美しさから「苔寺」とよばれている。奈良時代の僧行基が天平3年(731)に開創したと伝えられ、室町時代初期の暦応2年(1339)に夢窓...
天神社は、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されている式内社(しきないしゃ)である。明応2年(1493)に社殿が造営され、宮寺・中性院がおかれていた。しかし中性院は、明治維新の...
神社期によると、仁寿二年(852)、藤原良房が公詔を受け造営されたと記録されている。また江戸時代には、天神社として天神を祀っていたこともある。境内には本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの...
山城盆地のなかに孤立する小高い丘は、かつて咋山・咋岡とよばれ、早くから開けた土地であった。この飯岡丘陵には木津川の水運に関係する一族の墓と考えられる古墳が点在している。前方後円墳の飯岡車塚古墳、...
仁徳天皇時代(313年~299年)に現在の地より西方の西峰山頂に創建、宣化天皇元年(535)にこの地に移されたという。延暦12年(793)に大宝天王と朱智天王を同殿にあわせて祀られた。貞観11年...
「氏神牛頭天王造供神社牘之控」に、普賢寺郷の惣社牛頭天王社(現朱智神社)に遠く、打田村にも天王社を造営したとある。明治時代に須賀神社とあらためられた。府の登録文化財である本殿は、東に面した一間社...
賀茂氏族の祖神として崇神天皇御世(前97年~前30年)の創祀と伝わる。当社は京都・下鴨神社(賀茂御祖神社)の元宮で延喜式内社の古社である。祭神は八咫烏が化身の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと...
大正7年(1918)に建立された、松花堂昭乗ゆかりの寺。松花堂昭乗は、近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称され、書画、茶道等に長じた屈指の文化人で、その墓地の荒廃を惜しんだ当代の文化人らに...
現在は臨済宗天龍寺派の末寺で、常盤山源光寺といい本尊に地蔵菩薩を祀っている。本寺は約800年続く伝統行事、京都六地蔵巡りの一つ「常盤地蔵」が祀られている寺で、毎年8月22日・23日の両日に行われ...
現在の本堂が建ったのは宝永3年(1706)。奈良時代「鹿山寺(かせやまでら)」と称して古代南部仏教の一派といわれている。奈良元興寺と関わりがあったとされている。
山田家は江戸時代に御牧郷(みまきごう)13か村をまとめた大庄屋で、巨椋池(おぐらいけ)漁業の取りまとめ役を務めていました。長屋門・長塀・主屋は国の登録有形文化財建造物。展示室では巨椋池にかかわる...
1577年に明智光秀によって築城されました。1610年、岡部長盛の時代に城郭・城下町がほぼ完備されました。明治維新のあと廃城令により解体されましたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣...
奈良朝の元明天皇(707年~715年)の勅願により建立されたと伝えられる玉田神社は、古くから方除けの守り神として信仰されている。本殿や石鳥居などは国登録有形文化財。
史跡長岡宮内裏内郭築地回廊跡の上に位置する歴史ある旧家で長岡京跡などの市内の歴史文化資源の案内解説などを楽しめる施設です。明治43年に建築され、都市近郊の伝統的な形式を有した農家住宅として国の有...
壬生寺は、延命地蔵菩薩を本尊とし、991年に創建した律宗寺院で、厄除、開運の寺として庶民の信仰を集めている。境内は保育園や老人ホームなどが建ち庶民的な雰囲気だが、毎年恒例の節分会や重要無形民俗文...
四条通から北に一筋入った通りで、寺町から高倉まで約400mの間に錦市場がある。「錦に来てそろわへん食べ物は1個もあらへん」という京都人の言葉通り、魚・肉・乾物・惣菜・湯葉・漬物・京野菜などの店が...
五条通りの鴨川に架かり、牛若丸と弁慶が出会ったという伝説の場所。橋の西側には、ふたりの石像がある。また、橋のたもとには清照尼が扇をつくった御影堂の跡があり、扇形の石碑と扇塚が建っている。
養源院は文禄3年(1594)淀殿が父・浅井長政追善のため創建。のち焼失。元和7年(1621)徳川秀忠夫人・崇源院(お江)が伏見城の遺構を移し再建。以降、歴代将軍の位牌を祀る寺になる。また、本堂の...
大師堂や密厳堂など江戸時代の建築が大部分を占める智積院の見どころは、大書院の東に広がる池泉回遊式の庭園と宝物館。館内には国宝の障壁画が数多く収められているが、とくに長谷川等伯とその子・久蔵が描い...
明治23年(1890)に引かれた琵琶湖疏水は大津と京都を結ぶ舟運ルートとしても利用された。しかし、蹴上と岡崎とではあまりにも標高差があったため、坂道にレールを敷き、台車に舟ごと乗せてこの間を運ん...
大原の里に荘厳なたたずまいを見せる三千院は、最澄が比叡山延暦寺東塔南谷に草庵を結んだ事に始まる。境内には、優美な国宝阿弥陀三尊を祀る入母屋造柿葺(いりもやづくりこけらぶき)の往生極楽院が建つ。あ...
寺院の法要で唱える仏教儀式音楽、声明(しょうみょう)を伝承する学僧の住む寺として建てられた。庭園には多くの草木が植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。特に秋から春まで咲き続ける不断桜は有...
小倉山の山腹、静寂で清らかな、まるで常寂光土に遊ぶような趣があるということから名付けられた。茅葺きの仁王門をくぐり石段を登ったところには本堂、その後方には均整のとれた多宝塔が建ち、そこから眺める...