
金剛能楽堂/能・狂言
平成15年(2003)6月に京都御所の西向かいに移転、開館した。旧能楽堂より140年の星霜を経た能舞台をそのまま移築。石舞台をしつらえた庭園をあわせて見学もできる。能楽シテ方5流の中で唯一京都を...
平成15年(2003)6月に京都御所の西向かいに移転、開館した。旧能楽堂より140年の星霜を経た能舞台をそのまま移築。石舞台をしつらえた庭園をあわせて見学もできる。能楽シテ方5流の中で唯一京都を...
帯締め、鎧兜など、室町時代などの組紐作品の展示が見学できる。(所要時間/約30分)定員/見学・体験ともに約50人(要予約)
平安京をはじめ市内の遺跡をガイドの案内により巡る「遺跡めぐり」を実施。また、発掘体験も可。
五花街のひとつ、上七軒の真ん中に位置し、元お茶屋さんの建て物をそのまま利用したお店。時には芸妓さん舞妓さんの姿を見かけることもできる。2階には奥の家屋に渡る細い橋があり中庭をのぞむお座敷へとつづく。
京都市街のほぼ中央にある京都御苑は、東西約700m、南北約1,300mの広大な敷地を誇る。かつては皇族や公家の邸宅が集まっていたが、東京遷都をきっかけに東京へ移動、その後を公園化したもの。玉砂利...
平安京建都に力を尽くした和気清麻呂を祭神とする。明治19年(1886)に現在地に社殿を造営、遷座した。清麻呂の難を猪が助けたという故事にちなみ、狛犬の代わりに石造りの猪が置かれている。社務所横に...
歴代皇女が住持となる尼門跡寺院のため百々御所の名がある。孝明天皇遺愛の人形のほか、御所より賜った人形などを公開し、人形寺と呼ばれている。春と秋の2回開かれる人形展に合わせて寺内を一般公開。また、...
一条通の堀川に架かる、長さ6.2mの小さな橋。平安京当時とその位置は変わっていないといわれている。河竹黙阿弥の歌舞伎・渡辺綱と鬼女の話や豊臣秀吉による千利休の木像の磔けなど、さまざまな伝説と歴史...
天ぷらと京料理が美味しくいただける。
有職料理とは、古くからの宮廷の儀式や行事の際に供されたもの。萬亀楼では、これに現代風の味つけを施し、現代人にも美味しく食せるようにした料理が賞味できる。
明治12年(1879)創業の京漬物の老舗。京町屋独特の坪庭を眺めながら、近為自慢の漬物で「きんため御膳」が味わえる。
宿坊は現在休業中。
茶道美術品を中心に、創始者北村謹次郎の収集品からなる美術館。特に、「仁清作 色絵鱗波紋茶碗」など34点にのぼる重要文化財のコレクションが名高い。春と秋に季節を意識した逸品を展示。茶会の進行に沿っ...
京都市内の発掘調査により発見された、旧石器時代から平安時代を経て江戸時代に至るまでの各時代の埋蔵文化財を常設展示し、京都市の歴史を紹介している。また、発掘調査や研究成果に基づいた特別展示を年2回...
69台(工事中につき15台に縮小、2023年10月末日(予定)まで)※高さ制限2.30m
京都西陣の真ん中の町家工房で物づくりの面白さ「蒔絵」を体験。伝統工芸士の平野雄一さんが直接指導。直径一尺(約30cm)の盆に準備された多数の下絵から選び作業開始。漆の代わりにかぶれない「カシュー...
京西陣 孝太郎の酢は、創業180余年、酢一筋の商い。西陣の中でも茶道のお家元が集う名水どころ。厳選した国産米を使い、昔ながらの製法で造り続けています。米酢以外にも飲むお酢やレーズンなど約30種類...
京菓子資料館は、京菓子と京のおもてなし文化を体験することができる施設。敷地の間口の狭さを活かした京都らしい建物は、1階に茶室、2階に展示室がある。1階の裏千家鵬雲斎千玄室大宗匠ご命名の茶室「祥雲...
相国寺塔頭。作家水上勉氏が9歳~13歳まで雛僧としてここで修行し、その体験をもとに小説「雁の寺」を著したことで知られている。本堂の御本尊は6代将軍足利義教が寄進した平安時代の木像仏で、雲上来迎の...
国の登録有形文化財の町家を見学いただき、古くからつちかわれたしきたりの話をお楽しみください。「生きた町家」に触れることができます。また、ご希望に応じて、着物の着付けやお茶席、伝統弁当も体験いただ...
西陣在住の写真家水野克比古のフォトスペース。築150年以上の町家を、使用する木材も出来るだけ古い民家などから集め、愛情と手間をかけて再生し、町家の持つ歴史と息づかいが感じられる写真ギャラリー。
京都御苑の東の細長い境内にたたずむ梨木神社は、明治18年(1885)に維新の功臣である三條実万(さねつむ)を祭神として創建、後に子息の実美(さねとみ)が合祀された。萩の名所として知られ、9月中旬...
足利義満によって明徳3年(1392)に建立された相国寺は、竣工までに約10年を費やしたと伝えられている。現存する日本最古の法堂の天井画は、狩野光信筆の「蟠龍図」で、鳴き龍とも呼ばれる。総門をくぐ...
相国寺塔頭。はじめ大徳院と号していたが、後に足利義政の菩提所となったことから、その法号にちなみ慈照院と改称した。江戸時代初期には桂宮家の菩提所となり、その学問所・棲碧軒が現存している。また、千宗...