金蔵寺
「今昔物語」にも登場する金蔵寺が創建されたのは奈良時代。その後、一時荒廃していたが徳川綱吉の母の寄進によって建物が再興された。小塩山の中腹に開かれた境内には本堂や護摩堂などが建ち、見晴らし台から...
「今昔物語」にも登場する金蔵寺が創建されたのは奈良時代。その後、一時荒廃していたが徳川綱吉の母の寄進によって建物が再興された。小塩山の中腹に開かれた境内には本堂や護摩堂などが建ち、見晴らし台から...
嘉祥3年(850)の創建で、通称「なりひら寺」と呼ばれ、平安初期の歌人で六歌仙のひとり在原業平が晩年に隠棲し塩焼きの風情を楽しんだ寺で、境内には業平の墓と塩釜の跡の旧蹟がある。〈法話〉住職の都合...
釈迦岳の山腹に建ち、西国三十三所観音霊場第20番の札所として知られている。応仁の乱で焼失した建物は、江戸時代に桂昌院によって再建。幹が北に11m(平成6年、松くい虫のため約15mを切り、現在11...
向日神社北側の勝山公園内にある元稲荷古墳は、古墳時代前期の前方後方墳。全長は約92mあり、刀剣類、斧などが出土した。墳頂からは特殊器台形埴輪が発見されている。周辺には、弥生時代の高地性集落と思わ...
古墳時代前期(4世紀)の全長約95mの前方後円墳。第6向陽小学校から竹林公園へと続く竹林の西側にあるのが後円部。発掘調査によって、京都府南部にある古墳からも出土した三角縁神獣鏡のほか多くの鏡が出...
全長約46m、後円部の高さ9mの規模を持ち、横穴式石室をもつ6世紀中頃の前方後円墳で緑地公園として整備されている。向日丘陵の古墳時代前期のものが南北方向に規則的に築かれているのに対して、物集女車...
鶏冠井町大極殿にある南真経寺は日蓮宗の寺院で、鎌倉時代末期に、日像上人の布教により村人のすべてが日蓮宗に改宗した信仰の中心地。もとは南真経寺と北真経寺は一つの寺で、現在の北真経寺の位置にあったが...
天正10年(1582)、本能寺で織田信長を討った明智光秀と、中国地方遠征から急遽とってかえした羽柴(豊臣)秀吉は山崎で対峙。戦いの焦点は、どちらが天王山を制圧するかにあったため、いまも勝敗の別れ...
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって架けられたと伝えられ、「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている。現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、檜製...
平等院のすぐ南にある縣神社の祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。縁結び、安産の神としてよく知られている。また、毎年6月5日に行われる縣まつりは、昼ごろから通りにびっしり露店が並び...
鴻ノ巣山のふもとにあるこの神社は、松の老樹が生い茂る美しい参道の奥に本殿、拝殿、社務所が立っている。南に面している本殿は、文安5年(1448)に造営され、檜皮葺で正面に千鳥破風をつけた変化のある...
木津川、淀川水系において、大阪府高槻市・茨木市の三島野古墳群、乙訓地域の古墳群とともに三大古墳群の一つに数えられる久津川古墳群。その数は、城陽市から宇治市にまたがる宇治丘陵上及び平野部に約150...
都の裏鬼門を守護する国家二所宗廟の一つであり、日本三大八幡宮の一つとも称される。本殿は壮大な規模を持つ八幡造で、国内の同形式の本殿の中では現存最古で最大規模を誇る。国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢...
天明3年(1783)、臨済宗最初の専門道場、江湖道場として建立された。重要文化財で日本最古と伝えられる達磨大師古尊像が禅堂の聖僧として安置されているので「達磨堂」とも呼ばれている。3万坪にも及ぶ...
江戸時代に、代々幕府領の庄屋を務めた伊佐家の住居で、国の重要文化財に指定されている。享保19年(1734)に建てられた母屋は、茅屋の屋根の厚さが特徴的でかつてあった巨椋池の茅で葺かれ、赤い壁は、...
旧綴喜郡のなかで、もっとも古い神社のひとつ。創建は明らかではないが、日本全国の神社を記した平安時代初期の書物「延喜式」にも掲載されている神社で、当時は朝廷から崇敬されていた。祭神は天照大神の弟、...
飛鳥時代、敏達天皇2年(573)に創建された佐牙神社は、酒造神、佐牙弥豆男神(さがみづをのかみ)と佐牙弥豆女神(さがみづめのかみ)を祭神としている。天正13年(1585)に再建された左右両殿から...
妙楽寺境内にある蕪村句碑は、昭和元年(1926)、「宇治行」の原本発見を記念して建てられたもの。蕪村は、天明3年(1783)、田原村の門人から招待され、この地を訪れたといわれている。このときの紀...
和束町の北東、宇治田原町との境にある。標高682m、南山城地方の最高峰にあたり、山頂近くには古刹金胎寺があり、古くから修験道の道場になっていたといわれている。山頂からは、北東に比叡・比良・三上の...
かつては紙幡寺、加波多寺ともいわれていた蟹満寺は、白鳳期の末期に建てられた。本尊の銅造釈迦如来坐像は白鳳期の秀作で国宝に指定されている。「今昔物語集」や「古今著聞集」に登場する“蟹の恩返し”の縁...
神童寺は聖徳太子が開いた寺と言われ、その当時は大観世音教寺と称していた。その後、寺号を神童寺と改め、山岳修験の道場として栄えた。数多くの藤原期の仏像が残されており、阿弥陀如来坐像、愛染明王坐像、...
泉橋寺は別名「橋寺」とも言われ、僧行基が五畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に造営した四十九院のひとつ。境内にある石造地蔵菩薩坐像は鎌倉時代につくられたもので、高さは約4.58m。丸彫の石仏と...
本尊の文殊菩薩坐像と十一面観音菩薩立像は重要文化財。文殊菩薩坐像は奈良時代に行基が架けた泉大橋が流され、残っていた橋柱から鎌倉時代に刻みだしたものと伝わる。伽藍を建立して安置したのが現在の大智寺...
かつて木津川はよく氾濫を起こし、長いあいだ人々に大きな被害を与え続けてきた。惣墓(共同墓)五輪塔は、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために鎌倉時代の正応5年(1292)に建立されたものと思わ...