光明寺(長岡京市)
建久9年(1198)、法然上人の弟子法力房蓮生(熊谷次郎直実)が法然ゆかりのこの地に念仏三昧院を建立したのが光明寺のはじまり。西山浄土宗の総本山でもある。ゆるやかな石段を登っていくと、回廊で結ば...
建久9年(1198)、法然上人の弟子法力房蓮生(熊谷次郎直実)が法然ゆかりのこの地に念仏三昧院を建立したのが光明寺のはじまり。西山浄土宗の総本山でもある。ゆるやかな石段を登っていくと、回廊で結ば...
旧綴喜郡のなかで、もっとも古い神社のひとつ。創建は明らかではないが、日本全国の神社を記した平安時代初期の書物「延喜式」にも掲載されている神社で、当時は朝廷から崇敬されていた。祭神は天照大神の弟、...
天王山山麓にある大山崎山荘美術館から天王山山頂に至る間に秀吉の出世物語を日本画で描き、それを陶板に焼きつけたものが6ヶ所間隔を置いて設置されている。秀吉の中国大返しや山崎合戦、光秀の最期、天下人...
境内には、枯れることなく名水を注ぐ「朧泉(おぼろのいずみ)」がある。春にはヤマブキ、冬にはカンツバキが楽しめる。
明暦元年(1655)から万治二年(1659)にかけて造られた山荘で、後水尾上皇自らが設計したと言われている。約54万平方メートルという広大な敷地にある上・中・下三つの離宮は、それぞれに趣向が凝ら...
寛喜元年(1229)近衛基通の孫、静基によって創建され、応永18年(1411)に現在地に落ち着いた。四脚門、御車寄せ、客殿などは江戸時代中期に東山天皇中宮承秋門院の旧殿を移築したものである。数少...
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
勝林院は、顕真法印が浄土宗の開祖法然上人を請じ、称名念仏によって人々が極楽に往生することができるかどうかというテーマで天台宗等各派の学僧たちと議論をたたかわせた「大原問答」の舞台となった寺。総ケ...
授与所で授かった祈念神石に心中で願い事を込めれば、商売繁盛、金運、良縁などに霊験あらたかという神石祈願が伝えられている。成就すれば、お礼に別の石を添えて返納するならわしで、拝殿前には奉納・返納さ...
滝口寺は、平重盛家臣・滝口入道時頼と建礼門院の侍女・横笛の悲恋の舞台となったお寺。本堂には横笛と滝口入道の比翼の木像が安置され、参道には横笛の歌石がひっそりと立っている。また境内周辺は、平安時代...
伏見稲荷大社の南にあり、石仏の寺として知られる禅寺。本堂背後の竹林に立つ五百羅漢などの石仏は、安永半ばより天明初年まで前後10年余りをかけ、京都の画家・伊藤若冲が下絵を描き石工に彫らせたものと伝...
貞観2年(860)の創建。奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡神を勧請したのが始まり。嵯峨天皇の離宮があったところから、この名がつけられた。中世には商業組織の「座」の中でも最大の「油座」の本拠地がおかれ...
妙楽寺境内にある蕪村句碑は、昭和元年(1926)、「宇治行」の原本発見を記念して建てられたもの。蕪村は、天明3年(1783)、田原村の門人から招待され、この地を訪れたといわれている。このときの紀...
足利尊氏出生の地と伝えられる。春の桜、秋の紅葉が美しい由緒ある寺。辺りには、尊氏の産湯井戸や尊氏夫妻とその母の墓が残っている。また、この寺の地蔵菩薩は、尊氏の母清子が男子出生を祈願したと伝えられ...
慶長8年(1603)に徳川家康が造営。3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸に伴う大規模な改修で現在の規模となった。徳川幕府における京都の拠点の役割を担い、江戸時代の美術の粋を結集した二の丸御殿(国...
〈府立丹後郷土資料館〉国の史跡、丹後国分寺跡に建てられた府の施設で、丹後地方を中心とする考古資料、歴史資料、民俗資料を多数所蔵・展示している。通年の常設展の他、特別展や企画展などを随時開催し、丹...
学問の神様・菅原道真公を祀る全国におよそ一万二千社御鎮座する天満宮・天神社の総本社。〈御縁日〉毎月25日の縁日には蚤の市や露店約1,000軒が並び、たいへん賑わう。また、この日は境内で神楽舞も行...
天武天皇の時代に創建されたと伝えられている古寺で、ご本尊は数少ない国宝に指定されている十一面観世観音菩薩。境内は桜の名所として有名で、浮島のある庭とあいまって古寺の情緒を感じ取ることができる。〈...
白河院は現在、日本私立学校振興・共済事業団の京都宿泊所となっている。庭園は東山を借景とし、琵琶湖疏水を引き入れた池泉回遊式の山水庭園で、作者は7代目小川治兵衛。(通称「植治」)築山や松の大木等を...
牛若丸や天狗伝説で知られる鞍馬寺は、清少納言が枕草子で「近くても遠きもの」と記したつづら折りの坂道が約1kmつづく。なかなか大変な参道だが、歴史をたどりながらの散策が楽しめる。本殿前からは比叡山...
天神社は、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されている式内社(しきないしゃ)である。明応2年(1493)に社殿が造営され、宮寺・中性院がおかれていた。しかし中性院は、明治維新の...
寺町通りの一本東の通りで、たくさんのおみやげ屋さんが建ち並ぶ。修学旅行生のメッカとしても名高いところ。繁華街だが妙心寺や安養寺など古いお寺が散在していて、これがいかにも京都らしい光景。
豊臣秀吉の正室、北政所が夫の菩提を弔うために創建。小堀遠州作、国指定名勝の庭園をはじめ、重要文化財に指定されている開山堂・観月台・傘亭・時雨亭が残っている。また、霊屋内部の高台寺蒔絵が有名。〈坐...
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...