神應寺
貞観2年(860)、石清水八幡宮を開いた行教律師によって開山された寺と伝わる国の重要文化財である行教律師坐像を安置している。奥の院には杉山谷不動尊(ひきめの滝)があり、谷不動ともいわれ、「厄除け...
貞観2年(860)、石清水八幡宮を開いた行教律師によって開山された寺と伝わる国の重要文化財である行教律師坐像を安置している。奥の院には杉山谷不動尊(ひきめの滝)があり、谷不動ともいわれ、「厄除け...
木津川を望む丘陵上に営まれた縄文時代後期から古墳時代にかけての集落遺跡。縄文時代の竪穴式住居など一部を復元し史跡公園として楽しめる。
山城と近江の信楽を東西に結ぶ街道で、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」勃発時に、堺にいた徳川家康が宇治田原を通り、領国三河へ逃れた。家康一行は郷之口にあった「山口城」や奥山田の「遍照院」...
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂からは遠く琵琶湖まで見...
古代、山城と近江を結ぶ官道として整備された「田原道」は、たびたび歴史の舞台となってきた。沿線には宇治田原独特の干し柿「古老柿」発祥伝説の舞台・禅定寺などの旧跡が多い。「維中前」バス停にはコース案...
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも...
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在して...
昭和28年(1953)、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の拡幅工事の際、偶然に竪穴式石室が出土。邪馬台国女王卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬...
源光庵は鷹峯にある曹洞宗の寺。もとは貞和2年(1346)、大徳寺の徹翁国師が隠居所として開いたものだが、元禄7年(1694)卍山禅師が開山となり、これより曹洞宗となる。本堂前に広がる庭園は、四角...
明治19年(1886)に造成された京都市で最も古い公園で、明治26年(1893)には疏水の水を利用した噴水が瓢箪池に取り付けられ、大正3年(1914)には、七代目小川治兵衛により本格的な回遊式庭...
青蓮院は天台宗の京都五箇室門跡寺院の一つで、天明8年(1788)の大火により御所が炎上した際、後桜町上皇は御所として青蓮院に避難されたことから粟田御所ともよばれている。比叡山の東塔の青蓮坊が寺の...
浄土宗の総本山。承安5年(1175)、浄土宗の開祖・法然上人が吉水の草庵を結んだ念仏発祥の地。その後、徳川家康によって寺域が広げられた。東大路通に面して立つ古門の参道沿いには多くの塔頭が並ぶ。壮...
世界文化遺産に登録されている醍醐寺の境内にある食事処。昭和4年(1929)に宮内庁から譲り受けた「恩賜館」で食事をいただくこともでき、寺の古文書に残る徳川家光や春日局が食べたといわれる「竹の子す...
山城盆地のなかに孤立する小高い丘は、かつて咋山・咋岡とよばれ、早くから開けた土地であった。この飯岡丘陵には木津川の水運に関係する一族の墓と考えられる古墳が点在している。前方後円墳の飯岡車塚古墳、...
境内には、枯れることなく名水を注ぐ「朧泉(おぼろのいずみ)」がある。春にはヤマブキ、冬にはカンツバキが楽しめる。
大正7年(1918)に建立された、松花堂昭乗ゆかりの寺。松花堂昭乗は、近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称され、書画、茶道等に長じた屈指の文化人で、その墓地の荒廃を惜しんだ当代の文化人らに...
1577年に明智光秀によって築城されました。1610年、岡部長盛の時代に城郭・城下町がほぼ完備されました。明治維新のあと廃城令により解体されましたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣...
聖武天皇の皇子・安積親王がこの地に葬られ、その冥福を祈るため、行基が創建したと伝わる。秋は紅葉が美しい。
8世紀から9世紀前半にかけて、平安京造営に必要な瓦を生産した遺跡です。宅地造成に伴う発掘調査で存在が明らかになり、平安京の成立ちに関して重要な遺跡として2006年国の史跡に指定。遺構は地中に埋め...
デパートや銀行などが軒を連ねるビル街、四条通り。アミューズメント・ショップが並ぶショッピング街、河原町通り。このふたつの通りが交わる四条河原町周辺は、市内随一の繁華街である。昼、買い物客などでに...
本堂の建築様式が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式には紫雲山頂法寺といい、聖徳太子ゆかりの寺。境内には真ん中がくぼんだ「へそ石」と呼ばれる石があり、その位置が京の中心といわれる...
寺町通りの一本東の通りで、たくさんのおみやげ屋さんが建ち並ぶ。修学旅行生のメッカとしても名高いところ。繁華街だが妙心寺や安養寺など古いお寺が散在していて、これがいかにも京都らしい光景。
京都五花街のひとつで、長さ550m、幅2m足らずの通り。英語のポイント(先)やポルトガル語のポント(尖り)が語源で、先の細い道を表している。昔ながらの料亭やお茶屋さんが建ち並び、四条河原町のにぎ...
平安京建都に力を尽くした和気清麻呂を祭神とする。明治19年(1886)に現在地に社殿を造営、遷座した。清麻呂の難を猪が助けたという故事にちなみ、狛犬の代わりに石造りの猪が置かれている。社務所横に...