
花背
鞍馬からさらに街道を北へ進めば、花背峠を経て花背の集落へ続く。花背はバスも1日に数本しか通わない林業の村だが、最近はガラス工芸や和紙工芸などのクラフト作家が移り住んだ芸術村としても知られるように...
鞍馬からさらに街道を北へ進めば、花背峠を経て花背の集落へ続く。花背はバスも1日に数本しか通わない林業の村だが、最近はガラス工芸や和紙工芸などのクラフト作家が移り住んだ芸術村としても知られるように...
妙心寺塔頭。庭と茶室で有名な寺院。方丈から書院へと趣を変えながら飛石づたいにつづく庭は江戸時代の作庭で、なかでも、ツツジと苔、七・五・三風に配された庭石が絶妙の南庭は一見の価値あり。
京都の「東寺口」から久世橋、向日市の中心街、長岡京市の神足、大山崎を経て「摂津」へ抜ける古い街道で、東海道・山陽道をつなぐ主要幹線道路。「山城名跡巡行志」という記録によると、京を出て最初の宿場「...
“さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし”(太平記)武家政治を打破し、天皇政治をとり戻す策略が発覚した後醍醐天皇が、逃れようとする途中に大きな松の下で休まれ、そのときに詠じられ...
笠置山の山頂付近には、花崗岩で造られた巨岩・奇石が多く、その特異な景観から山伏の修行場となっていた。巨岩には、弥勒石、虚空蔵石、文殊石、太鼓石、貝吹岩、ゆるぎ石などがあり信仰の対象となっている。...
網干場から発展したもので、潮の干満差の少ないこと、山と海に挟まれた狭い土地を利用するうえから生まれた。湾をとり囲み、海にうかぶように、230棟が軒を連ねている景観は見事。昔は、わらぶきの平屋建て...
伊根浦から経ヶ岬へ行く途中に、日本最古の「丹後風土記」に描かれている浦嶋子(浦島太郎)の物語の舞台となった浦嶋神社がある。この神社は天長2年(825)当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績をたた...
6世紀末、聖徳太子の母で、用明天皇の后の穴穂部間人皇后が、蘇我、物部氏間の戦乱からこの地に逃れ住み、乱がおさまった後、都へ帰る時に里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を村名に贈った。里人は皇后の...
天明8年(1788)創業。230年以上もの間、人々の舌を魅了してやまないのが創業当時より守り継がれるコクのある白いスープが自慢の鶏の水炊き。5月~9月までの間、京の夏の風物詩、川床もある。平成1...
真宗大谷派の本山、正式には真宗本廟という。慶長7年(1602)、本願寺第12代教如上人が、徳川家康から烏丸六条の土地を寄進され、東本願寺を創立した。江戸時代に4度の火災に遭い、現在の御影堂は、明...
大原の北にあり、中国風の山門が変わった印象を与えてくれる。深い緑に覆われているせいか、夏でもひんやりしている。参道の左手には実相の滝があり、古木の楓と絵画のような構図。隠れた紅葉の名所である。
羽柴(豊臣)秀吉が山崎城築城に際し、堺から呼び寄せた利休が、大山崎在住中に建てたといわれる小間の茶室、建物の端々に利休の非凡さが感じられる。建物は切妻造り、柿葺で、茶室では例のない地下窓をあけて...
小高い丘の上に築かれた、直径8mから最大15.5mの12基の古墳から成り立つ古墳群。平成元年(1989)8月に、一番大きな5号古墳から、全国でも貴重な人物埴輪(巫女埴輪)2体が発掘され、一躍脚光...
菅原道真公が太宰府に左遷されるとき、この地に立ち寄り、名残りを惜しんだとして道真公を祀っている。そのため、「見返り天神」とも言われている。景勝地として名高い境内には八条ヶ池が広がり、その中央を通...
臨済宗南禅寺派、西国薬師霊場第26番札所、丹波古刹十五ヶ寺霊場13番札所で、「丹波のもみじ寺」として有名。また、重森完途作「薬師三尊四十九燈の庭」もあり、庭園内には水琴窟もある。
1341年創建。足利尊氏が後醍醐天皇追善のため開山に三光国師(弧峰覚明禅師)を招き建てた。春は桜、秋は紅葉が美しい。
〈坐禅会〉坐禅・法話・抹茶(要予約)〈写経会〉毎月18日(5/18は休み)
〈写経と法話〉写経会。おつとめ~法話~写経~粗飯。〈護摩焚きと法話〉不動縁日。護摩焚き~法話。所要時間/約1時間〈写経〉随時実施。9時~15時所要時間/約1時間~1時間30分写経 毎日受付(1名...
〈都七福神〉日本最古の都七福神の1つとして有名。
快慶作、宝冠阿弥陀如来坐像や土佐光起・光成の襖絵がある。
足利義満が普明国師を開山として建てた臨済宗単立寺院。山門脇の古びた土塀が、禅宗の寺院らしさを引き立てる。庭園は苔むした枯山水で、なだらかな稜線の嵐山を借景にしている。〈宿坊〉女性のみ対象。おつと...
「明神さん」で親しまれている向日神社は、奈良時代、養老2年(718)創建。室町時代に造営された本殿が国の重要文化財に指定されているほか、境内の多くの建物も国の登録有形文化財に指定されている。境内...
細川勝元が宝徳2年(1450)に徳大寺家の別荘を譲り受けて建立した禅宗寺院で、方丈南側に枯山水庭園(史跡及び特別名勝)として名高い石庭がある。三方を築地塀で囲み、東西25メートル、南北10メート...
藤原一族の栄華を今に伝える平等院は、宇治川の西岸にあった源融の別荘を藤原道長が譲り受け、その子頼通が寺に改めたもの。平安時代の庭園の名残を伝える阿字池に浮かぶ鳳凰堂(国宝)は極楽浄土を思い描いた...