京都市武道センター
「主競技場」「補助競技場」「旧武徳殿」「弓道場」「相撲場」の各施設を備える総合武道施設。年間を通して、様々な武道種目の競技大会が開催されている。特に、旧武徳殿については、平安遷都1100年記念事...
「主競技場」「補助競技場」「旧武徳殿」「弓道場」「相撲場」の各施設を備える総合武道施設。年間を通して、様々な武道種目の競技大会が開催されている。特に、旧武徳殿については、平安遷都1100年記念事...
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも...
昭和28年(1953)、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の拡幅工事の際、偶然に竪穴式石室が出土。邪馬台国女王卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬...
丹波道主命と川上摩須朗女の孫娘が皇后になったことを喜び、川上摩須によってかぶと山山頂に建立されたと伝えられている。また、この地の旧地名「熊野郡」の名のもとになったともいわれます。久美浜湾と日本海...
相国寺塔頭。作家水上勉氏が9歳~13歳まで雛僧としてここで修行し、その体験をもとに小説「雁の寺」を著したことで知られている。本堂の御本尊は6代将軍足利義教が寄進した平安時代の木像仏で、雲上来迎の...
牛若丸や天狗伝説で知られる鞍馬寺は、清少納言が枕草子で「近くても遠きもの」と記したつづら折りの坂道が約1kmつづく。なかなか大変な参道だが、歴史をたどりながらの散策が楽しめる。本殿前からは比叡山...
正式には六六山詩仙堂丈山寺といい、寛永18年(1641)丈山隠棲のため詩仙堂を建立、終の棲家と定めた草庵。三十六歌仙にならい中国歴代の詩人36人を選び三十六詩仙とし、狩野探幽・尚信に肖像を描かせ...
青蓮院は天台宗の京都五箇室門跡寺院の一つで、天明8年(1788)の大火により御所が炎上した際、後桜町上皇は御所として青蓮院に避難されたことから粟田御所ともよばれている。比叡山の東塔の青蓮坊が寺の...
大原野神社の南にある正法寺は真言宗の寺で、本堂には重要文化財指定の三面千手観音像が安置されている。本堂前に広がる石庭は最近の作で「鳥獣の石庭」とよばれ、動物の形をした石が配され、枯山水などといっ...
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
「氏神牛頭天王造供神社牘之控」に、普賢寺郷の惣社牛頭天王社(現朱智神社)に遠く、打田村にも天王社を造営したとある。明治時代に須賀神社とあらためられた。府の登録文化財である本殿は、東に面した一間社...
元々青龍寺であったが、大干ばつ大飢饉の年に龍神に勝ち雨が降ったことから現在の名前になった。「京都洛西観音霊場第十四番札所」、「ぼけ封じ近畿十楽観音第三番札所」である。切り絵の御朱印やお守りも大人...
細川忠興公・ガラシャ夫人生誕450周年を記念して平成25年11月、カトリック宮津教会に隣接する大手川ふれあい広場中央に建立されました。波乱万丈の生涯の中で、自ら信念を貫いた細川ガラシャ夫人が「祈...
大正7年(1918)に建立された、松花堂昭乗ゆかりの寺。松花堂昭乗は、近衛信尹、本阿弥光悦とともに寛永の三筆と称され、書画、茶道等に長じた屈指の文化人で、その墓地の荒廃を惜しんだ当代の文化人らに...
現在の本堂が建ったのは宝永3年(1706)。奈良時代「鹿山寺(かせやまでら)」と称して古代南部仏教の一派といわれている。奈良元興寺と関わりがあったとされている。
聖武天皇の皇子・安積親王がこの地に葬られ、その冥福を祈るため、行基が創建したと伝わる。秋は紅葉が美しい。
8世紀から9世紀前半にかけて、平安京造営に必要な瓦を生産した遺跡です。宅地造成に伴う発掘調査で存在が明らかになり、平安京の成立ちに関して重要な遺跡として2006年国の史跡に指定。遺構は地中に埋め...
民家の立て込む中にひっそりと建つ。西国三十三か所の第17番札所。本堂の背後に建つ宝物収蔵庫には平清盛公坐像や念仏を称える口から六体の阿弥陀が現れたと言い伝えられる空也上人像など、美術史上重要な仏...
勝林院は、顕真法印が浄土宗の開祖法然上人を請じ、称名念仏によって人々が極楽に往生することができるかどうかというテーマで天台宗等各派の学僧たちと議論をたたかわせた「大原問答」の舞台となった寺。総ケ...
1367年(貞治6年)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。勧請開山は夢窓国師で、一休禅師が幼少時を過ごした寺でもある。境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称...
保延3年(1137)、鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿を仏寺に改めてできた。境内には藤原時代の三尊石仏や五輪石塔など、また付近には近衛天皇陵や鳥羽天皇陵など鳥羽離宮ゆかりのものが数多く残されている。
万治年間(1658年頃)賢盛が開基して安養寺といったが、貞享3年(1686)に法泉寺と改称した。重要文化財に指定されている十一面観音立像は、高さ86.0cmの一木造りの像で平安時代後期に作られた...
天平16年(744)に恭仁京が廃都。その大極殿は山城国分寺に施入の後、跡地は金堂として使用され、あわせて七重塔や境内鎮守社なども整えられた。そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになる...
国道163号を木津川にそって登っていくと、和同開珎の鋳造跡がある。和同開珎は我が国の古い貨幣として知られ、直径25ミリ、和・同・開・珎の4文字が刻まれている。