
真如堂(真正極楽寺)
永観2年(984)、比叡山・常行堂にあった阿弥陀如来像を移して開いたとされる。正しくは「真正極楽寺」といい、広々とした閑静な境内には本堂(重要文化財)や三重塔、総門、元三大師堂、鐘楼堂(上記四棟...
永観2年(984)、比叡山・常行堂にあった阿弥陀如来像を移して開いたとされる。正しくは「真正極楽寺」といい、広々とした閑静な境内には本堂(重要文化財)や三重塔、総門、元三大師堂、鐘楼堂(上記四棟...
延暦寺の塔頭の一つ。京都の表鬼門にあたるので方除けの神として、また五十払い発祥のいわれより掛けよせの神として商売繁昌の信仰を集めている。紅葉の名所であり、11月中旬から下旬にかけての眺めは見事。...
下鴨神社のみたらし池に湧き出す水玉を象ったお団子がみたらし団子。大正11年(1922)の創業以来このみたらし団子ひと筋のお店がここ。極上の粉を使って作った団子を竹串に刺して焼き、黒砂糖をメインに...
老杉が茂り、巨大な杉の根が地面をはい、神秘的なムードが漂うなかに建つ奥の院魔王殿。650万年前に金星から飛来したともいわれている護法魔王尊を祭っている。
元禄の昔、芭蕉が当寺の鉄舟和尚を訪ね、語り合った芭蕉庵を与謝蕪村が再興した。本堂後丘には、その芭蕉庵、蕪村の墓、句碑がある俳句の聖地。又、舟橋聖一作「花の生涯」や諸田玲子作「奸婦にあらず」のヒロ...
狸谷山不動院は、250段の石段を登った瓜生山の山頂近くに桓武天皇勅願の不動尊を祀ったのが起こりとされている。御本尊咤怒鬼(たぬき)不動明王が他抜きに転じて、商人、芸能人、スポーツ選手の信仰が厚く...
バラモン教から伝わり、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地といわれている。〈宿坊〉おつとめ、法話は自由参加。希望により写経(納経料1,000円)有り。定員/約10人(要予約)...
民芸運動の推進者たちの手で開館された資料館。土蔵造りの建物で、日本を中心にアジア各地の焼物、染織、木工などを展示。随時企画展を開催している。
重厚な銅板葺屋根の帝冠様式がひときわ目を引く美術館が2020年春にリニューアルオープン。日本を代表する建築家青木淳・西澤徹夫の革新的なコンセプトに基づき、創建当時のデザインを活かしながらガラス張...
明治維新の立役者の一人、岩倉具視が元治元年(1864)から慶応3年(1867)まで隠れ棲んだ旧宅「鄰雲軒」があり、室内の観覧ができる。武田五一が設計した展示・収蔵施設である対岳文庫には岩倉具視や...
宿泊棟・ロッジ(400名)、キャンプ場、プレイホール、冒険の森、野鳥の森、天体観察所、多目的グラウンド、創作の広場など。
地下 506台https://www.kyotopublic.or.jp/parking/search/detail/e3051111-f3b9-4cf7-a311-55736ab68b9b西天...
自転車台数50台。要身分証明書。(コピーでも可)
深草うちわや京丸うちわ、その他様々な京うちわや扇子、工芸品を取り揃えております。是非岡崎散策や観光の合間にお立ち寄りください。〈深草うちわ〉伏見・深草は当時、公家の別荘地で周りには上質な真竹の竹...
細見美術館館内にある茶室古香庵は、数寄屋建築の名匠・故中村外二棟梁の遺作として知られている。茶道の歴史や茶室のしつらえ、お茶のいただき方など簡単な作法をわかりやすく解説したり、スタッフによる基本...
平成9年(1997)9月、収蔵品を中心とした展示の場として学内に開設された。同館では、縄文時代の土器やシルクロード周辺諸国の工芸、明治の浮世絵師・豊原国周の浮世絵版画、伏見人形をはじめとする全国...
哲学の道を少しはずれたところにあり、法然上人が念仏道場として開いたのがはじまり。現在の本堂は延宝8年(1680)に中興。苔むした茅葺きの門は、簡素にして典雅な雰囲気で、紅葉に溶け込む景色はまさに...
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
明治23年(1890)に引かれた琵琶湖疏水は大津と京都を結ぶ舟運ルートとしても利用された。しかし、蹴上と岡崎とではあまりにも標高差があったため、坂道にレールを敷き、台車に舟ごと乗せてこの間を運ん...
吉田山のふもとに平安京の守り神として創建されたのがはじまり。境内には、産生(うぶすな)の神をはじめ、菓子や料理の神を祀る社も。なかでもユニークなのは斎場所大元宮。全国の神々が一堂に祀られていて、...
旧館は、関西建築界の父と呼ばれる武田五一の設計。平成13(2001)年に新館が建築されたが、現在でも旧館のファサード部分は保存されており、当時の面影を残している。蔵書数は、約134万冊。各分野の...
一乗寺下り松はその昔、宮本武蔵が吉岡一門と決闘を演じたところといわれている。しかし今では民家が密集し、当時のことを記した「宮本・吉岡決闘之地」と刻まれた石碑のみが残る。
周囲約1.5kmの宝ヶ池を中心に自然林に囲まれた公園である。遊歩道や芝生の広場が設けられ、家族連れやドライブ途中の若者が多く訪れ、桜や梅が数多く植えられているので、春には一段と多くの市民でにぎわ...
推古天皇の御代の頃、小野妹子が隋に行く途中病気になったところ、宇佐八幡宮に祈願し、病気が治った。帰国後、報恩のため宇佐八幡を勧請して創建し、のち備後三郎三宅高徳がこの地に移り住み崇拝したところか...