猿丸神社
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」この歌を詠んだ猿丸大夫を祀る。三十六歌仙の一人に数えられているが、謎の人物。この地は、大夫晩年隠棲の土地とも伝えられている。また、猿...
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」この歌を詠んだ猿丸大夫を祀る。三十六歌仙の一人に数えられているが、謎の人物。この地は、大夫晩年隠棲の土地とも伝えられている。また、猿...
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉の...
淀川水系宇治川の支流「田原川」の源流で、町内最大の滝。鷲峰山系から湧き出た清流が落下し、周囲の景観にとけ込む。大滝大明神を祀り、毎年9月1日の「大瀧祭」では酒を飲ませたうなぎを滝壷へ放つ神事を行う。
織田信長に敗れた近江の佐々木氏が逃れたという伝承を持ち、昔ながらの古い風習を伝える山腹の集落。集落から大峰山へ至る林道からは宇治川沿いの天ヶ瀬峡谷や京都市内が一望できる。春には梅林が咲き誇る。晩...
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
「田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の皇子で万葉歌人。伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。天皇谷の入口、現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られた...
山城と近江の信楽を東西に結ぶ街道で、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」勃発時に、堺にいた徳川家康が宇治田原を通り、領国三河へ逃れた。家康一行は郷之口にあった「山口城」や奥山田の「遍照院」...
古代、山城と近江を結ぶ官道として整備された「田原道」は、たびたび歴史の舞台となってきた。沿線には宇治田原独特の干し柿「古老柿」発祥伝説の舞台・禅定寺などの旧跡が多い。「維中前」バス停にはコース案...
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも...
日本緑茶発祥の地、宇治田原町の湯屋谷にある製茶工場跡をリノベーションして誕生した「宗円交遊庵やんたん」は、地域に暮らす人たちが手づくりでもてなすハートウォーミングな交流拠点。観光案内やお茶などの...
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画「禅定寺平成大涅槃図」が描かれ...
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡な...
立川の大道寺地区は、地名となった「大道寺」、町指定文化財の「大道神社」、源平合戦の史跡「信西入道塚」があり、南山城の霊峰「鷲峰山」への昔からの登山口でもある。11月には「古老柿」を生産する「柿屋...
JAの茶直売所をリニューアル。直売だけでなく、喫茶コーナーを併設。玉露や煎茶を自分で淹れることができる。地元農産物も販売。
大宮神社宝筐印塔と同じタイプで鎌倉時代の塔。南区の旧「切林村」に位置し、和束町から伊賀方面へ向かう街道横にある。ここで旅人がわらじの緒を締め直し旅立ったことから地元では「わらじの神様」と呼ばれて...
建藤神社は禅定寺文書にも記載があり、平安時代の創建という。現在の社殿は寛政年間の建立で、鮮やかな色彩が復元された本殿等は京都府登録文化財、境内は京都府文化財環境保全地区となっている。
正寿院は、高野山真言宗に属し、創建はおよそ800年前、飯尾山医王教寺の塔頭寺院として建立されたと伝えられています。客殿「則天の間」には猪目窓という窓があります。猪目(いのめ)とは、ハート型であり...
宇治田原特産の干し柿「古老柿」を生産する棚。11月中旬、刈り取りの終わった田んぼに木組みとわらぶき屋根の柿屋が建てられ、皮をむいた渋柿を並べて乾燥させる。町内の南、立川、岩山、禅定寺の各地区に建...