
咋岡神社(飯岡)
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
本堂の建築様式が六角宝形造であることから六角堂と呼ばれているが、正式には紫雲山頂法寺といい、聖徳太子ゆかりの寺。境内には真ん中がくぼんだ「へそ石」と呼ばれる石があり、その位置が京の中心といわれる...
創建当初は仙遊寺と称していたが、建保6年(1218)、伽藍が建立されてからは境内の涌き水にちなんで泉涌寺と改められた。その後間もなく四条天皇の月輪陵が造営され、以来、皇室ゆかりの寺「御寺」として...
弘法大師が十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられる。西国三十三カ所の第十五番札所として知られているが、不動明王や毘沙門天の信仰もあり、頭痛封じ、頭の観音さんの寺として古くから民衆の信心を集め...
境内に約100本の桜の木が植えられ、別名「花の寺」と呼ばれるほど春には素晴らしい景観を見せる。瑠璃光殿にはいずれも重要文化財の、本尊薬師如来1体、胎内仏薬師如来1体、仁王像2体、計4体が安置され...
4世紀初頭、古墳時代前期のものとされる前方後円墳。発掘調査などを行っていないので詳細は不明だが、全長91m、後円部は直径54m、高さ約9m、前方部は長さ約40m、高さ約4mの古墳時代前期の典型的...
建久9年(1198)、法然上人の弟子法力房蓮生(熊谷次郎直実)が法然ゆかりのこの地に念仏三昧院を建立したのが光明寺のはじまり。西山浄土宗の総本山でもある。ゆるやかな石段を登っていくと、回廊で結ば...
世界三大美女の一人として、またせつない女心を詠んだ歌人として知られる小野小町。生まれた年も、死亡した場所も謎に包まれているが、晩年は井堤寺に住んでいたと伝わる。玉津岡神社の参道べりには、自然石を...
万治年間(1658年頃)賢盛が開基して安養寺といったが、貞享3年(1686)に法泉寺と改称した。重要文化財に指定されている十一面観音立像は、高さ86.0cmの一木造りの像で平安時代後期に作られた...
ユニークな表情を持つ十六羅漢像をはじめ、釈迦三尊や住吉明神があることで知られている。これらはすべて木喰上人五行明満によるもので、全国行脚の途中、ここに5ヶ月間滞在した時に刻まれた。素朴で力強い作...
昭和56年(1981)に、大小2対の龍が向かい合って、玉をくわえた黄金の大刀が発見され、一躍考古学ファンの注目を集めた。重要文化財に指定されているこの大刀は、全長1.2mで、環頭柄頭の最大径は1...
新町通りにある白生地の問屋であった町家を保存、公開しているもので、京商家の典型ともいうべき表屋造り。昔ながらの町屋で調度品や庭を眺めて時を過ごし、京の人々の日常の暮らしぶりを見てもらうことに重き...
建二2年(1202)鎌倉期創建。八代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)を祀っている。1月10日を中心として前後5日間に...
「智恵・学問・商才・厄除け」の神様、菅原道真公を祀る。京の台所錦市場を正面に見据え、新京極通に面した繁華街唯一の鎮守社。幻想的に灯る奉納提灯は圧巻。境内には、地下百尺より汲み上げている錦の水があ...
京菓子資料館は、京菓子と京のおもてなし文化を体験することができる施設。敷地の間口の狭さを活かした京都らしい建物は、1階に茶室、2階に展示室がある。1階の裏千家鵬雲斎千玄室大宗匠ご命名の茶室「祥雲...
デパートや銀行などが軒を連ねるビル街、四条通り。アミューズメント・ショップが並ぶショッピング街、河原町通り。このふたつの通りが交わる四条河原町周辺は、市内随一の繁華街である。昼、買い物客などでに...
京都五花街のひとつで、長さ550m、幅2m足らずの通り。英語のポイント(先)やポルトガル語のポント(尖り)が語源で、先の細い道を表している。昔ながらの料亭やお茶屋さんが建ち並び、四条河原町のにぎ...
京都市街のほぼ中央にある京都御苑は、東西約700m、南北約1,300mの広大な敷地を誇る。かつては皇族や公家の邸宅が集まっていたが、東京遷都をきっかけに東京へ移動、その後を公園化したもの。玉砂利...
三十三間堂の本坊。国宝のポルトガル国印度副王信書や庫裏、幕末の七卿落ちの舞台となった宸殿、本堂には重要文化財の普賢菩薩像が祀られる。
泉涌寺塔頭。本尊の阿弥陀如来坐像と二十五菩薩坐像はともに藤原時代の作。とくに菩薩像は弥陀来迎の歓喜の姿をしており、秋の二十五菩薩練供養(毎年10月第3日曜日)には多くの参拝者でにぎわう。また本堂...
比叡山西麓の風雅な木立のなかに建ち、桃山様式の勅使門に玄関、本堂、大書院、小書院、茶室などが悠然と続く洛北屈指の門跡寺院。もとは比叡山にあったが、北野天満宮が創建されると別当職を命じられ北山に移...
楼門をくぐると、正面にある本殿には、酒造の神、子授け・安産の神など8神を祭る本殿がある。その右側には、またぐと赤ちゃんが授かるというまたげ石がある。(要祈祷)また、2月、3月には梅が、4月は八重...
大山崎のシンボルである天王山は、標高は270.4m。淀川をはさんで男山と向かい合い、京都盆地から大阪平野への出口の門のような地形。戦国時代には軍事的にも経済的にも重要なポイントで、山崎合戦に勝利...
塔の島と橘島を総称して中の島という。塔の島に建つ高さ約15mの美しい十三重石塔は、鎌倉時代後期に奈良・西大寺の僧叡尊が魚の霊を供養するために造立したもの。宝暦6年(1756)の洪水で川に埋もれて...