平安神宮
見上げるような大きさの大鳥居(高さ24.4m)から参道、社殿へと、王朝時代の華やかさが薫る平安神宮。古いものと思われがちだが、明治28年(1895)に平安建都1100年を記念して建てられた。鮮や...
見上げるような大きさの大鳥居(高さ24.4m)から参道、社殿へと、王朝時代の華やかさが薫る平安神宮。古いものと思われがちだが、明治28年(1895)に平安建都1100年を記念して建てられた。鮮や...
寛喜元年(1229)近衛基通の孫、静基によって創建され、応永18年(1411)に現在地に落ち着いた。四脚門、御車寄せ、客殿などは江戸時代中期に東山天皇中宮承秋門院の旧殿を移築したものである。数少...
寺院の法要で唱える仏教儀式音楽、声明(しょうみょう)を伝承する学僧の住む寺として建てられた。庭園には多くの草木が植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。特に秋から春まで咲き続ける不断桜は有...
大化2年(646)に奈良元興寺の僧道登によって架けられたと伝えられ、「瀬田唐橋」「山崎橋」とともに、日本三古橋のひとつに数えられている。現在の橋は、平成8年(1996)3月に完成したもので、檜製...
都の裏鬼門を守護する国家二所宗廟の一つであり、日本三大八幡宮の一つとも称される。本殿は壮大な規模を持つ八幡造で、国内の同形式の本殿の中では現存最古で最大規模を誇る。国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢...
木津川に架かる全長356.5mの日本最長級の木橋。この名は、増水時の抵抗を少なくするため、床板が流れるように設計されていることに由来する。白砂の河原と清流に調和した風景は、時代劇などのロケにたび...
明治6年(1873)に来日したオランダ人工師、ヨハネス・デ・レーケは日本の治山、治水に大きな功績を残した。京都府では彼の偉業を記念して、昭和57年(1982)、不動川砂防歴史公園の整備に着手し、...
平安時代に編修された『延喜式』に載る古い社。室町時代初期の本殿は、細工や彫刻にすぐれており重要文化財に指定されている。ユーモラスな仕草で豊作を願う1月15日頃に行われる「御田」や餅を竹串にさして...
本堂に九体の阿弥陀如来坐像が横に並んでいることから、九体寺と呼ばれる。本堂、三重塔、九体の阿弥陀如来坐像、四天王立像は、いずれも平安時代のもので、国宝に指定されている。
大同2年(807)弘法大師によって建てられた寺で、本尊に千手観音が置かれているところから千手寺と呼ばれている。目の神様で知られていて、境内より湧き出る清水で目を洗い、または飲むことによって眼病が...
和銅4年(711)、聖武天皇の勅願で行基によって創られ、当時は弓削寺とよばれていたと伝えられている。その後天正7年(1579)明智光秀が周山城を築いた時、寺を壊して城の用材としたため廃絶した。現...
ユニークな表情を持つ十六羅漢像をはじめ、釈迦三尊や住吉明神があることで知られている。これらはすべて木喰上人五行明満によるもので、全国行脚の途中、ここに5ヶ月間滞在した時に刻まれた。素朴で力強い作...
中世の戦乱を象徴する山城遺構で、平野部を阿蘇海に向けて突き出た標高50mの丘陵上にある。この城は、丹後一色氏の没落の際、最後の攻防がくり広げられた場所で、戦国時代の丹後における代表的な山城のひとつ。
「橋木の観音さん」として親しまれている。養老元年(717)にインドの僧、善無畏三蔵が創建した古刹。桓武天皇より勅願を頂き、弘法大師より発信貴山の山号をつけられた。寺宝の千手観音(非公開)、宝篋印...
真言宗の古刹で、行基菩薩の開基。本尊は十一面観音で眼守護のご利益で知られる。日切不動尊は厄除、縁結びなどの諸祈願で参拝が多い。当地の初詣の寺でもある。「関西花の寺25ヶ所霊場」の第七番札所で、4...
妙心寺塔頭。庭と茶室で有名な寺院。方丈から書院へと趣を変えながら飛石づたいにつづく庭は江戸時代の作庭で、なかでも、ツツジと苔、七・五・三風に配された庭石が絶妙の南庭は一見の価値あり。
笠置山の山頂付近には、花崗岩で造られた巨岩・奇石が多く、その特異な景観から山伏の修行場となっていた。巨岩には、弥勒石、虚空蔵石、文殊石、太鼓石、貝吹岩、ゆるぎ石などがあり信仰の対象となっている。...
とんちで知られる一休禅師が、63歳の時に復興させた寺。名勝地に指定されている方丈庭園や重要文化財に指定されている本堂がある。方丈庭園は松花堂昭乗、佐川田壽六、石川丈山の合作によるもので、「三作の...
〈精進料理〉沙羅の花を愛でる会、小豆粥で初春を祝う会のときに、それぞれ特有の精進料理を賞味できる。沙羅の花を愛でる会(6/12~6/27)小豆粥で初春を祝う会(1/15~1/31)当日受付を行う...
澤井家は、武家の出身で、近世初頭に現在地に住み、江戸時代には尼門跡曇華院の所領を治める代官であった。主屋は、江戸時代中期の元文5年から翌6年(1740~1741)にかけて建て替えられており、尼門...
明治42年(1909)に建築。水運業で栄え、由良川流域の歴史を築いた「平野家」を再生したもので、京都府指定有形文化財に指定されている。母屋1階には10畳3間の続き座敷、縁側、式台構え、床・棚・書...
楽々荘は、貴族院議員で明治時代の京都の政財界の立役者で、現在トロッコ列車が運行している旧山陰本線を敷いた実業家田中源太郎の邸宅として明治33年(1900)頃完成。迎賓館として建てられた書院造りの...
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山に...
禅宗「黄檗宗」の大本山。江戸初期に渡来した中国僧隠元によって寛文元年(1661)に開創。境内には中国式の巨大な伽藍が建ち並び、異国情緒にあふれている。中国風精進料理「普茶(ふちゃ)料理」や唐韻で...